八月十九日

 
お姉さんがきて、笑ったりしていた、池袋駅の改札からC1出口のベローチェまでが遠くて不機嫌になったりしていた、それでわたしは遅れて入ったら、母親だけがカツラをつけるのをやめて席にいた、抗癌剤で毛が抜けたら癖毛になって生えてくるんだね、と言って、くりくりだな、と足して、お姉さんは嘘のトイレから戻ってきて、人混みの中で彼女らはケーキを食べ、わたしはサンドイッチを食べ、タバコを吸い、その後でケーキを食べ、誰かが薬を飲み、金はすべて母が出し、入り口の水をコップに入れて持って出て、病院まで送ってさよならした、お姉さんは恥ずかしがったり、笑ったりしていた、それは父と鎌倉に行って大仏の中に入った三日後で、6月だろうか、7月か、富山のチューリップ園を尋ねた車椅子の祖父とパイプ椅子の祖母の写真だけがLINE上に残った、父は禿げていて、父の弟も禿げていて、母の弟は禿げておらず、母の父は禿げていないがこの前死んだ、姉さんは悲しくないからと言ってそれで悲しんでいたが、恥ずかしがったりしていた、俺は自分の保育園の時の写真をさがして携帯にとりこんで、メールで送った

 

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