十月八日


ディスクユニオン吉祥寺店でKaryobinがでたらしい、Karyobinがでた、とかいう物言いがもう遺跡か鉱物か油田みたいだが、7万円のそのレコードを買いにやはり始発で並びにきた人がいて、やや遅れてもう一人の採掘者がやってきて、開店前のディスクユニオン吉祥寺店ジャズ館には熱心なフリー・ジャズファンが二人並んでいたそうだが、二人目の絶望感は尋常ではなかったろうし、わざわざ店が開く前に電車を乗り継いでやってきて、ああ、並んでいる人がいる、となればそれはもう、殺すしかない、そうしないと買えないもの、どういう感じだったんだろう、話しかけたりするんだろうか、あ、Karyobinですか?わたしはKaryobinなんですけどね、とか言ったりしたんだろうか、廃盤LP一挙放出だったらしいから、もしかしたらこの人はKaryobinの人ではないのでは、いや、やっぱりそうだよな、そうだよなあ、とか黙々と俯いてまっていたり、もしや譲ってくれるのでは、などと変な方向に想像を膨らませたりしたのだろうか、とにかく、どんな感じだったのですか、二人で何時間もそういう状態にあるのは、一人目はいいよ、Karyobinのことだけ考えていればいいんだから、二人目は果てしなく長い時間だったろうに、一人目に対して愛憎入り混じった複雑な感情が入れ子的に立ち現れてきたのではないですか、ちがいますか、さておき、茄子がうまい、茄子がうますぎて感動して茄子ばかり食っていたら、茄子めっちゃ嫌いになったわ、朝昼晩、茄子、なす、ナス、ではもう途中から茄子というより、茄子という言葉を食っている気持ちになってきたわ、麻婆豆腐をだされても、なすうまいなあ、とか言って、そうして初期衝動で現実もなにもなくダメになるほど、最初の茄子はうまかった、それから自暴的に茄子をすりへらして、わたしの今年の茄子はおわりを迎えたわ、秋茄子は嫁に食わすなとか言ってないで、ちゃんと分けてあげながら、ほどほどに食べなよ、あと、月蝕をみたひと、ちゃんと見えたひと、東京は曇っていましたね、スイミーみたいな曇の空からほんの何分かだけとぎれとぎれに顔をだしていましたね、わたしはただただ自転車に腰をおろしてまっていただけで、月蝕はみんなのものでしたね、Karyobinにおいて重要なのはKaryobinの所有であるわけだから、それは一人目だけのもので、二人目以降は無にひとしく、茄子の場合は茄子の使用の問題だったが、わたしの中で茄子の終焉に向けて加速度的に転がっていく運動はとまらず、人がいればまた違ったのかもしれない、月蝕はみんなのもので、月は一個しかないから、それは綺麗だよね、と電話口で言われた、でも責任感とか感じてるのかな、と電話口で言われた、けれど月は所有物でも使用物でもないので、責任感はたぶんないし、俺の見立てでは、月はたぶんあほだと思う、少しオブラートに包んで言うと、月にはちょっとあほなところもあるのではないか、と月蝕をみて思った

f:id:taniuchi02:20141009004649j:plain