十二月二十七日
手を抜き放題の近頃、最初のうちこそバレないようにやろうとするものの、次第にその気もなくなるんだから、一人ずつ一事ずつ明るみになって、ほころびまくっている年末、冬の雹、新潟でも、まだ雪は積もらず、イルミネーションより先に不明瞭なネオン輪の総体は火の玉として映り、年賀状の懦弱な方は新年前に手渡し、30万ぽんと出て片付く身辺からまた出る錆を掃き掃除、本日はめずらしく空が高くからっとしていて、私事も公事もあまりにもごちゃごちゃしているため、なにかを書く時間はないのでブログはやめます、1月4日に記事はすべて削除します
十月八日
九月三十日
氷のレコードというのが、いまはあるらしい、まわっているうちに溶けていって、もう曲の途中ではきちんときけなくなるらしい、まして二度目はまるでもってきけない、演奏する方は一度きりでやっているのだから、きく方も一度きりだって、一度再生したら消滅するメディアをと、デレク・ベイリーはたぶん半分投げたように言っていたのだと思うけど、ほんとうに一度しか再生できない媒体ができたよ、ベイリーのレコードあるいは音楽の複製媒体に対する態度は極めて微妙だが、すくなくともライブ至上主義ではまったくないし、録音するされる、媒体に載ることへの気持ち悪さはあまりないようにみえる、結局はライブはライブなりに気色が悪いので、キッチンだろうが、寺だろうが、スタジオだろうが、地下鉄だろうが弾いているところにリアルタイムにリアルのアクセス可能性が無造作にあるというのが、多くはないけれど、少なくない演奏家のイメージで、それがベイリーのイメージかどうかはしらないが、フリー・インプロヴィゼーションという言葉は今では1970年代のデレク•ベイリーだけの、広義にはデレク・ベイリーとハン・ベニンクの音のためだけの言葉になったとわたしは思うし、後年のデレク・ベイリーはかなしみがあふれすぎて、光り輝く未来にすらみえる、音楽によって音楽に立ち向かうというのがインプロヴィゼーションの軸であったとして、それは方法の濫用よりもはるかに美しく映るから、ランダムネスや予測不可能性やノン・イディオマティックなど初期以外はもう頭になかったのだといのる時には、その反対の方にデレク・ベイリーのもう一本の糸が貼られている、それで、どちらにしてもわたしたちのインプロヴィゼーションは謙虚に衰弱しながら呆けていく以外に道がないので、国会中継にあわせてギターを練習をしているデレク・ベイリーの像にあわせて小さな口を開きながら野球中継にあわせてギターを練習をするようなささやかな楽しみとして溶かしていく程度しか、使い道が思いつかない、今日思ったのはデレク・ベイリーとトーマス・マンは似ているということです
九月十九日
喋りたがりなので隠していること以外はぜんぶ喋ってしまう、それで秘密がたくさんあると思われていて、実際あるのだけど、それは他人の守秘義務とわたしの精神衛生上の観点からの秘密なので、みなさんにはまったく、ぜんぜん関係のないことです、気にしないでください、しかしここ最近段々と詰があまくなってきて、守秘義務の方はまあいいとして、内緒だよ、とか、言わないでね、とか一言添えてもらえるとよりいいとして、精神衛生の方は緩みまくっている、年かしら、24歳でこれでは60歳くらいになったら自分もなにもあったものではない、口に布をあてて生きたい、それでなくともこんなに詰があまい人間だっただろうか、わたしはわたしなりに脆弱なのだから、わたしなりの強さは保持しないといけない、バランスが悪い、ちゃんと線を引かないとしぬぞ、社会復帰、社会復帰、これだって社会復帰のために書いているのだ、そうなのだ、口と心と現実をきちんと切り離さないと、言葉はあらゆる角度から取捨選択、嘘も方便、黙秘も発言、身体、距離、音量、音階、空間、関係、速度、媒体、見栄、私事、記憶、処理速度、知能指数、気まぐれ、失敗、いい加減さ、もてるかぎり活用して、伝えるのではなくシステムが回転すればよい、心のままに話すなんて欺瞞だ、俺の場合はだよ、ゆめゆめ、みな立ち位置を崩さぬよう、しっかりと、社会復帰、近頃の自分は自己中心的で、言葉の力なんか信じようとかしているのでは、俺が信じようが信じまいが言葉には力があるのだから、考えるのはそれをどう使うかということだけだ、これは受売だが、ほんとうにそのとおりだなあ、自己中はだめなので、ネジをしめよう、わたしがしあわせを感じるのはいい、たのしいくるしいもいい、お好きに、ただ自分の感情伝達のためだけに言葉を使うのを許してはいけない、そんなことでは言葉の方から呪いがふりかかりかねない、今まではもっとやさしかったはず、せめて他人のために枠組は提示していたはず、わたしの場合は、わたしの場合は、だよ、ゆめゆめ、各人適性をたがわぬよう、そういうふうにして、向こう側がみえる人は勝手にみればいい